出世できなかったとしても、それで人生が終わるわけではありません。
会社員生活では、どうしても出世する人とそうでない人が出てきます。
昇進から外れてしまったり、リストラにあったりすると、「自分の人生はもう終わりだ」と感じてしまう方も多いでしょう。
でも、よく考えてみてください。人生100年時代といわれる今、仮に65歳で定年を迎えたとしても、その後には約35年という長い時間が残っています。これは、会社員生活の45年に匹敵するほど長いのです。
つまり、出世できなかったとしても、それで人生が終わるわけではありません。むしろ「肩書きなしでどう生きるか」が、その人の本当の価値を問う期間になるのです。
ここから先は、会社や役職ではなく、自分の誇りを土台に生きるチャンスなのです。
外側の肩書きや財産ではなく、心の豊かさ
この考えを裏づける教えは、古今東西にあります。
例えば聖書の「マタイによる福音書6章19節」にはこう記されています。
「自分のために地上に富を積むな。そこでは虫やさびが食い、盗人が盗む。」
つまり、外側の肩書きや財産ではなく、心の豊かさこそが真の価値であると説いているのです。
仏教においても、ブッダは「執着を手放すことで人は自由になる」と教えました。出世や地位に固執しすぎると、かえって不自由になるということです。
さらに、東京大学の中野信子教授(脳科学者)は、著書の中で「肩書きによる承認欲求は人を不安定にする」と述べています。脳科学的にも、地位に依存する生き方は幸福度を下げる可能性があるのです。
自分が出世できなかった経験をもネタにしてやれ
では、肩書きを超えて誇りを持って生きるにはどうすればよいのでしょうか。
例えば、会社に頼らず「パソコン1台で働く」という生き方はひとつの実例です。ブログや動画発信、オンライン講座など、今の時代は個人が知識や経験を活かして収入を得る道が広がっています。
会社員としての評価が得られなかったとしても、自分の体験や知恵を世の中に提供すれば、それを必要とする人は必ず現れます。
「出世できなかった」経験そのものが、同じ悩みを持つ人を救うヒントとなるのです。
例えば、リストラを機に自分のスキルを発信し始めた人が、オンライン上で講師やコンサルタントとして活躍しているケースは少なくありません。
組織に縛られず、自分の人生を自分の責任でデザインすること。これこそが、会社という看板がなくても誇りを持って生きる道です。
まとめ
出世競争に勝つことは一つの道ですが、それがすべてではありません。
定年後の35年、そしてノマド的に自由に働ける時代においては、「肩書きがなくても誇れる人生」を模索することが大切です。
あなたの誇りは、地位や名刺の肩書きではなく、どれだけ人に光を届けられるかに宿っているのです。